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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)16664号 判決

原告 黒川又郎

右訴訟代理人弁護士 石井嘉夫

同 井上勝義

同 渡部正郎

同 厚井乃武夫

被告 大正海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役 真鍋誠次郎

右訴訟代理人弁護士 溝呂木商太郎

主文

一  被告は、原告に対し、金一五〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一二月二六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、司法書士であり、被告は、損害保険業務を営む株式会社である。

2  原告の所属する東京司法書士協同組合は、被告(保険者)との間で、原告を被保険者、保険期間を昭和五八年一一月一日から昭和五九年一一月一日までとする司法書士賠償責任保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。

3  本件保険契約には、以下の約款が定められている。

(一)(賠償責任保険普通保険約款第一条)

被告は、被保険者が特別約款記載の事故のために、他人の生命もしくは身体を害し、もしくは財産を滅失、毀損もしくは汚損したことによって生じた法律上の損害賠償責任を負うことにより被る損害を、この約款に従って填補する責に任ずる。

(二)(司法書士特別約款第一条)

被告は、賠償責任保険普通保険約款第一条の規定にかかわらず、被保険者またはその使用人、その他業務の補助者が、日本国内において司法書士の義務を遂行するにあたり発生した左記各号の事故により、被保険者が業務の委託者またはその他の第三者により提起された損害賠償請求について、被保険者が法律上の損害賠償責任を負担することによって被る損害を填補する責に任ずる。

(1)  (略)

(2)  被保険者またはその使用人、その他被保険者の業務の補助者が業務を遂行するにあたり、業務上相当な注意を用いなかったことにより業務の委託者あるいはその他の第三者に財産的損害を与えたこと。

(三)(司法書士特別約款第二条)

この特別約款において第一条の「業務」とは次のものをいう。

(1)  他人の嘱託を受けて、その者が裁判所、検察庁または法務局もしくは地方法務局に提出する書類を作成し、及び登記または供託に関する手続を代ってすること。

ただし、司法書士法以外の法律において制限されているものを除く。

(2)  前号に関して行なう相談業務

4(本件保険事故の発生)

(一) 株式会社サンケー(以下「サンケー」という。)代表取締役秋山朔(以下「秋山」という。)は、今井敏雄を名乗る敏雄の実兄今井善彦(以下「善彦」または「自称敏雄」という。)から、東京都渋谷区代々木四丁目一八番一一、宅地二八三・八七平方メートルの土地(以下「本件土地」という。)を売却したいという申し入れを受けた。

秋山は、右交渉に際し、自称敏雄から、本件土地の登記済証を紛失したので所有権移転登記の申請は不動産登記法四四条の保証書添付の方法によることになるが、登記手続については原告に任せてある旨の説明を受けた。

(二) 秋山は、昭和五九年二月一三日、自称敏雄と共に原告の司法書士事務所(以下「原告事務所」という。)を訪れた。

原告の司法書士業務の補助者である吉川澄夫(以下「吉川」という。)は、秋山の質問に答え、サンケーの資格証明、委任状及び登記費用さえ準備してもらえば、二、三日経過後、いつでも本件土地の所有権移転登記ができる旨言明した。

さらに、吉川は、同月一六日、サンケーと自称敏雄との間の本件土地売買の代金の授受にも立ち会ったが、その際、秋山に対し、右登記手続の必要書類は全部揃ったから、右登記が可能である旨述べた。

右説明を受けた秋山の嘱託により、吉川は、本件土地の所有権移転登記申請書を原告の名において作成したうえ、同日、東京法務局渋谷出張所に提出した。

(三) 秋山は、吉川の右言明により所有権移転登記ができるものと信じ、自称敏雄を敏雄本人であると誤信して、昭和五九年二月一三日、自称敏雄との間で、サンケーが敏雄から本件土地を代金九七〇〇万円で買い受ける旨の売買契約を締結し、同日、手付金二〇〇万円を、同月一六日、残代金をいずれも自称敏雄に支払った。

ところが、後日、秋山が右売買契約を締結した相手方は敏雄になりすました善彦であったこと、敏雄本人には本件土地を売る意思がなく、所有権を取得できないことが判明したため、サンケーは、右代金のほか諸費用を含めて総額九八九一万九三〇〇円の財産的損害を被った。

(四) 自称敏雄は、右登記手続の嘱託以前にも、昭和五八年一二月ころ、本件土地を担保に東洋ファクタリング株式会社(以下「東洋ファクタリング」という。)から融資を受けて五〇〇〇万円を騙取しようと企図し、原告事務所の経営者である澤田光義(以下「光義」という。)の兄で司法書士である澤田國義(以下「國義」という。)の事務所(以下「沢田事務所」という。)を訪れ、保証書による登記申請を依頼したことがあった。

國義は、右登記が管轄外であることから、申請依頼を断わり、保証人の候補者として光義を紹介したが、自称敏雄が身分を証明するものを持っていなかったこと、持参した敏雄の住民票には一年のうちに四、五回も転々と住所を変えた記載があったことから、右人物が敏雄本人であるかどうか疑わしいので、保証人を引き受けるに際しては充分に注意するよう、光義に対し忠告した。

自称敏雄は、翌日、原告事務所を訪れ、光義に保証人を引き受けることを依頼してきたが、その際、やはり身分を証明するものを持っていなかったうえ、自称敏雄が保証人の一人として連れてきた兄善彦と称する男が自称敏雄より遥かに背も低く、顔も似ていなかったこともあって、光義は一層疑念を深め、吉川に対し前記の経緯を話した上、自分が保証人となることを断って欲しいと頼んだ。

しかしながら、吉川は、自称敏雄が登記申請の代行をしつこく依頼してきたので、ほかに保証人となるべき者が知人にいないか自称敏雄に確認することもなく、これに応じてしまった。

(五) 原告は、司法書士の業務を吉川及び光義に任せきりにしており、吉川は、原告に対し、自称敏雄から業務を依頼された一連の経過について一切報告をしていなかった。

5  (原告及び吉川の注意義務違反並びにサンケーの損害との因果関係)

吉川が、自称敏雄を本件土地所有者である敏雄本人でないと看破できず、真実敏雄が本件土地をサンケーに売り渡す意思があるものと信じて、秋山に対し誤った説明を行なったうえ、原告を代理人とする所有権移転登記申請書を作成し、これを東京法務局渋谷出張所に提出したこと及び自称敏雄から業務を依頼された一連の経過について原告に対する一切の報告を怠ったこと、並びに原告が、吉川の右行為につきその指揮監督を怠り、自らも登記申請の前提となる実体関係の存否につき適宜の方法による調査確認を怠ったことは、それぞれ司法書士業務の補助者ないしは司法書士として業務上要求される相当な注意義務に違反するものであり、右4(三)のサンケーの損害は、その結果として生じたものである。

6(裁判上の和解の成立と和解金の支払)

サンケーは、昭和五九年八月三〇日、原告のほか、吉川、保証書において保証人となった光義及び磯慶子(以下「磯」という。)を相手方として、右4、5の不法行為に基づく損害賠償請求訴訟を東京地方裁判所に提起した(昭和五九年(ワ)第九七六二号、以下「別件訴訟」という。)。

右訴訟において、サンケーと原告ほか右三名との間で、昭和六一年六月二三日、原告ほか右三名がサンケーに対し連帯して四四〇〇万円の支払義務のあることを認めるという内容の和解が成立し、原告は、同年八月一四日、右和解金として一五〇〇万円をサンケーの代理人雪下伸松に対して支払った。

7  よって、原告は、被告に対し、本件保険契約に基づき、保険金として一五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六一年一二月二六日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の事実は、いずれも認める。

2  同4(一)ないし(五)のうち、吉川が原告の司法書士業務の補助者である事実は認め、その余の事実は、いずれも知らない。

3  同5は、いずれも争う。

司法書士には、登記申請の代理または申請書の作成の依頼を受けた場合、たとえそれが登記済証にかわる保証書を添付する方法によるものであったとしても、その真意が疑われる特段の事情が存しない限り、登記義務者の登記申請意思に関して調査確認すべき法的義務はない。

本件保険事故においては、いまだ、こうした特段の事情が存するものとはいえないから、原告及び吉川に右法的義務はない。したがって、これを前提とする、原告が吉川を指揮監督する義務や、吉川が善彦から業務を依頼された一連の経過につき原告に報告する義務も存在せず、これらを怠ったことを理由として、原告がサンケーに対し、損害賠償責任を負うことはない。

サンケーの損害は、もっぱら、本件土地の所有権移転登記申請につき保証人となった光義及び磯並びに両名に保証人となることをもちかけた吉川が、保証書作成上の注意義務に違反し、善彦を敏雄と誤信して、保証書を作成したことに基づいて生じたものであり、吉川の右行為は本件保険契約の司法書士特別約款第一条の「業務」に含まれないものである。

4  同6のうち、原告がサンケーの代理人雪下伸松に一五〇〇万円を支払った事実は知らない。その余の事実は認める。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1ないし3の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  同4及び6の事実について判断するに、〈証拠〉を総合すれば、以下の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

1  光義は、かつて兄國義が経営する沢田事務所に事務員として勤務していたが、昭和五六年九月以降、自らは資格を有しないものの司法書士を雇い入れ、独立した司法書士事務所を経営するようになった。

原告は、昭和五四年に司法書士の資格を取得し登録を経て、自ら事務所を開設し司法書士業務を行なっていたが、業績が思わしくなかったため、所属の司法書士会に休業届を提出していたところ、昭和五八年一〇月、光義の経営する事務所から誘いを受けて、所長として雇い入れられ、これに勤務するようになった。その際、右事務所の名称は、原告の姓を冠して黒川司法書士事務所とした。

しかし、登記申請書の作成など原告事務所における司法書士本来の業務に、実務経験の乏しい原告が関与することは殆どなく、従前から右事務所に勤務し実務に習熟している吉川と光義とが原告の名前を用いてこれにあたるのが常であった。

原告は、業務執行の大半を吉川及び光義に任せきりにしており、特段指示を与えるようなこともなく、両名から報告を受けることもなかったため、その具体的内容をほとんど把握していなかった。

2  善彦は、昭和五八年一二月ころ、弟敏雄になりすまし、弟敏雄所有の本件土地を無断で処分して、金員を詐取することを企図していた。

善彦は、敏雄の住所を埼玉県飯能市から善彦自身の居所である東京都新宿区に変更した旨、関係官署に虚偽の届出をなし、敏雄名義による偽造の印鑑登録を経たが、本件土地の登記済証を所持しておらず、担保権設定や所有権移転の登記を経るについても保証書添付の方法によるほかないことから、司法書士事務所に保証人を紹介してもらったうえで登記手続を依頼することにした。

3  善彦は、敏雄になりすまし、まず、國義の経営する沢田事務所を訪れ、本件土地に抵当権を設定したいが、登記済証を紛失しているから、保証人を紹介してもらったうえで登記手続をとって欲しい旨申し向けた。

國義は、右依頼を自ら引き受けず、本件土地の管轄登記所に登記を受けたことがあり保証人の資格を有する弟の光義を紹介したものの、光義に対しては、自称敏雄すなわち善彦が自動車運転免許証や旅券など本人の写真貼付のある確実な身分証明書を所持しておらず、持参してきた住民票にも住所を転々と移動している旨の記載があると別途連絡しておいた。

自称敏雄は、國義の紹介を受けて、直ちに光義に架電し、保証人を引き受けてくれるよう依頼したが、光義は、國義からの右連絡もあったため、これを直ちに引き受けることに難色を示した。

4  そこで、自称敏雄は、なんとか光義を信用させるために、翌日、身分を証する人物として、まったくの他人を原告事務所に同行して、敏雄の兄善彦であると名乗らせた(以下「自称善彦」という。)うえで、光義に対し保証人になってくれることと、併せて原告事務所において保証書による登記手続を引き受けてくれることを、重ねて依頼した。

光義は、前日の國義からの連絡内容を吉川に相談し、一応は右依頼を断わるよう頼んでいたが、吉川が自称敏雄及び自称善彦に対し、持参してきた住民票に記載されている敏雄及び善彦の各住所、本籍、生年月日などをその場で問い質して本人確認を試みたところ、両名ともこれを誤りなく暗誦することができたこと、自宅連絡先として申し出た電話番号に架電しても自称敏雄が応対したことなどから、吉川及び光義は、自称敏雄が敏雄本人に間違いないものと誤信した。

こうして、自称敏雄の依頼に応じて、光義が保証人となり、原告事務所が保証書による本件土地の抵当権設定登記手続を引き受けることとし、同時に、もう一人の保証人となった自称善彦の保証書作成も原告事務所が引き受けた。

5  自称敏雄は、本件土地を担保にして融資に応じてくれそうな金融業者として東洋ファクタリングの担当者吉田修一(以下「吉田」という。)を知人から紹介された。

自称敏雄は、吉田に対し、五〇〇〇万円余の融資を申し込み、本件土地に抵当権を設定して担保に供すること、その登記済証は紛失して所持していないが、予め原告事務所に保証書による登記手続を依頼してあるから、抵当権設定には支障がないことなどを説明した。

吉田は、本件土地の担保価値からみて右融資金額自体に問題はないと判断し、さらに、原告事務所を訪ね、保証書による登記手続をとってもらえることも吉川から確認したので、基本的には自称敏雄の右申し入れに応じ、本件土地に極度額八〇〇〇万円の根抵当権設定登記を経由したうえ融資を実行することにした。

ただ、東洋ファクタリングでは別途本人確認の手続が必要であると判断し、昭和五八年一二月二一日、吉田が敏雄の出身高校まで出向いて直接本人確認にあたることになり、右確認作業が終わるまで登記申請手続をとらないよう吉川に指示した。

しかしながら、敏雄の出身高校に同道させたところ、自称敏雄は校内に入ることを拒んだため、吉田は、同校にあった卒業アルバム中の敏雄の写真を閲覧しただけで、格別の疑念をもつに至らなかった。そのため、吉田は、自称敏雄が敏雄本人と別人の善彦であることを看破できず、結局これをもって本人と確認できたものとして、同日、東洋ファクタリングに報告し、そのまま前記登記申請を実行に移すよう吉川に指示を与え(その際、吉川は、確認の具体的方法まで知らされなかった。)、右申請が受け付けられたことを確認してから自称敏雄に融資金を交付した。

また、右登記申請と同時に、本件土地の登記名義人敏雄の肩書住所地を前記虚偽の届出により定められた住所に変更する旨の付記登記と停止条件付賃借権設定仮登記の申請もなされた。

6  自称敏雄は、昭和五九年二月初め、原告事務所に保証書による本件土地の登記申請手続を再度依頼したいと連絡してきた。

吉川は、自称敏雄が前記根抵当権設定登記の後も二度ほど原告事務所を訪れており、その挙動に不自然なところもなかったため、何ら不審を抱くことなく右依頼を引き受けることにした。

ただ、その際、自称敏雄から二人の保証人を原告事務所で紹介するよう求められたので、吉川は、光義のほかに沢田事務所の事務員磯にも保証人となってくれるよう依頼し、その了承を得た。ちなみに、磯は、自称敏雄とは前記根抵当権設定登記の手続と前後して一回会ったことがあるだけで、それ以前の面識はまったくなかったが、吉川から自称敏雄が敏雄本人に間違いないという説明を受け、安心して保証人を引き受けたものであった。

7  自称敏雄は、やはり知人から、本件土地の買い受けを希望する者としてサンケーの社長秋山の紹介を受けた。

秋山は、自称敏雄から、原告事務所に保証書による方法を依頼してあるから、本件土地の所有権移転登記手続には支障がない旨説明を受け、同月一三日、同人に連れられ、右説明内容を確認するために原告事務所を訪れた。

これに応対した吉川は、原告事務所において保証人を確保してあり、保証書による登記手続に応じることが可能であるが、不動産登記法四四条の二に従い、登記義務者である敏雄に対し送付された通知書に署名捺印して登記所に再度提出をしないと正式に所有権移転登記の手続がとられないことなどを説明した。

秋山は、自称敏雄が敏雄本人であることに特段の疑いを抱かず、右吉川の説明から登記手続にも問題がないものと考え、原告事務所に登記手続を依頼し、自称敏雄との間で、同日、サンケーが敏雄から本件土地を代金九七〇〇万円で買い受ける旨の売買契約を締結し、直ちに手付金として二〇〇万円を支払った。

吉川は、同月一六日には、自称敏雄から、登記所より送付された通知書に署名捺印したものの交付を受け、これを登記所へ提出し、所有権移転登記に必要な手続をすべて完了した(以下「本件所有権移転登記」という。)。

なお、残代金の支払は、自称敏雄が右通知書を吉川に交付するのと同時に行なわれ、吉川もこれに立ち会った。右残代金の一部は、前記東洋ファクタリングからの借入金の返済に充てられ、前記根抵当権設定登記と停止条件付賃借権設定仮登記は、本件所有権移転登記に続き、翌一七日に抹消登記がなされた。

8  その後、同年三月に至り、自称敏雄は善彦が弟敏雄の名をかたった者であって、敏雄本人には本件土地を処分する意思がないことが、秋山、吉川及び光義ら関係者に判明した。

しかし、原告事務所の運営の実態は前示のとおりであったから、原告は、自称敏雄及びサンケーから本件所有権移転登記手続を委託された事実についてまったく関知しておらず、右のとおり人違いであることが判明して、初めて吉川より原告に事実経過の報告がなされた。

敏雄本人は、サンケーを相手方として本件所有権移転登記の抹消を求める訴えを提起したが、他方、サンケーは、善彦から弁償を受ける見込みがまったくないとして、原告、吉川、光義及び磯を相手方として、自称敏雄すなわち善彦に支払った前記売買代金その他登記費用など合計九八九一万九三〇〇円の損害賠償を求める別件訴訟を提起した。

結局、本件所有権移転登記は抹消され、サンケーは所有権を取得できないことが確定し、また、別件訴訟において、昭和六一年六月二三日、原告、吉川、光義及び磯がサンケーに対し連帯して四四〇〇万円の支払義務のあることを認める旨の和解が成立し、同年八月一四日、原告は右金員のうち一五〇〇万円を負担して、サンケーの代理人弁護士雪下伸松に対し、これを支払った(右のうち、サンケーによる別件訴訟提起の事実及び右の内容による裁判上の和解が成立した事実については、いずれも当事者間に争いがない。)。

被告は、別件訴訟において原告に補助参加していたものの、右和解には保険者として応じられないとして不参加の意思を表明し、右和解期日に欠席していたものである。

三  原告は、本件所有権移転登記の申請手続を行なうに際し、原告及び吉川が司法書士ないしその業務補助者として相当な注意を怠ったのであるから、右両名は、サンケーに生じた前記売買代金その他の損害につき賠償する責を負っており、一五〇〇万円の前記和解金も右賠償責任に基づいて支払ったものであると主張するので、以下、この点について検討する。

1  不動産登記は、不動産に関する権利関係の公示手段であるから、実体と適合しない不実の登記が作出されないことが何よりも要請されるものである。

そして、司法書士は、専門的知識ないしは経験を有することを前提とした有資格者として、不動産登記手続の代行を業として行なう権能をほぼ独占的に付与されており、関連法令及び実務に精通し、公正かつ誠実に業務を行なうべきものとされていること、したがって、真正な登記の実現に寄与すべき職責があるものと解すべきであり、登記手続を嘱託した当事者、その他関係者においても、通常、その地位・資格に相応しい適正な方法で当該手続が執行されるものと司法書士の業務に信頼をおいているとみるべきことなどに鑑みると、登記手続を受託した司法書士には、当該登記申請が法律上の要件を満たすことを慎重に吟味・検討したうえで、これを実行に移すべき義務があるものといわなければならず、関係書類の記載内容や印影に齟齬・不一致が存しないかといった形式的審査に十分な意を払うことは勿論、受任に至る経緯や当事者、関係者から事情聴取した結果など職務上知り得た諸事情を総合勘案して、登記義務者の真意が疑われる相当な事由の存する場合には、当該登記が実体に適合するものか否かについても調査確認する義務があるものと解するのが相当である。

2  ところで、不動産登記法上、登記申請には登記済証の提出が必要とされるところ、登記済証が滅失した場合においては、その提出に代えて、登記申請をする者と登記義務者とが同一人物であることを保証する成年者二名の作成した保証書を添付するという方法によることが認められている。

これは、登記済証は登記義務者の所持におかれている蓋然性が高く、登記済証を提出できることが登記義務者本人であることの有力な徴表といえるのであるが、登記済証提出の事実がなくとも、登記を申請する者が登記義務者本人と同一人物であることについて確実な知識を有する二名の者の保証の存在は、その確固たる根拠となり得るとの考えによるものであり、このような登記申請上の要件が、登記義務者の意思に基づかない不実の登記の作出を防止するために重要な機能を果たしているものとみることができる。

そうだとすると、登記義務者について確実な知識を有しない者が、保証人として不適格であることはいうまでもないのであって、これらの者が保証人として保証書を作成することは違法であり(不動産登記法一五八条参照)、こうした保証書を添付してする登記申請も、実質的要件を欠いた不適法なものといわざるを得ない。

確かに、登記義務者に人違いのないことの保証は、保証人個人が独自の知識、経験に基づき、危険を負担して引き受けるべきか否か判断すべきもので、保証書による登記申請を受託した司法書士において、常に保証人に対して、どの程度確実な知識に基づいて保証をなすのかを調査確認すべき義務があるとまではいえない。

しかしながら、前示の司法書士の職責に照らすと、登記義務者につきほとんど知識を持たず、保証人として不適格なことの明白な人物が保証書を作成したことを認識しながら、そのような保証書をそのまま添付して登記申請を行なうべきでないことは明らかである(もっとも、登記義務者に関して自ら慎重な調査確認を実施して、本来保証人に要求されるのと同程度の確実な知識を得ている場合は、別異に解すべき余地がないではない。)。

3  これを本件所有権移転登記手続についてみると、自称敏雄は知人・親戚など身近な者から保証人を用意することができず、結局、光義及び磯が保証人を引き受けたが、右両名は、東洋ファクタリングに対する根抵当権設定登記手続の依頼を受けるのと相前後して、自称敏雄と初めて面識を有するに至ったに過ぎず、その後自称敏雄の身元に関し確実な知識を得る機会もなかったというのである。

そして、吉川は、光義及び磯の両名が自称敏雄と登記義務者である敏雄本人との間に人違いがないことについて確実な知識を有するはずのないことを十分に知悉しながら、また、自ら自称敏雄と敏雄本人との同一性につき殊更慎重な調査を実施したわけでもないのに、右両名に対し、自称敏雄が敏雄本人に間違いない旨を断言して、保証人を引き受けるよう依頼し、右両名作成にかかる保証書をそのまま添付して本件所有権移転登記の申請手続を代行し実行に移した、というのである。

そうすると、吉川は、光義及び磯が保証人として不適格であることを知りながら、また、自ら自称敏雄と敏雄本人との同一性につき確実な知識を得るに足りる調査確認をしたこともないにもかかわらず、光義及び磯両名の作成にかかる保証書をそのまま添付して不適法な右登記手続を代行し、これを実行したものであるから、司法書士ないしその業務を補助する者として相当な注意を怠ったものというほかない。

もっとも、本件においては、前示のとおり、東洋ファクタリングに対する根抵当権設定登記の際、吉川が適宜の方法により一応の本人確認を実施していたこと、吉田から出身高校に出向いて自称敏雄の本人確認を実施したという報告がなされたこと、その後、右登記に関して敏雄本人ら関係者から異議が差し挾まれることがなかったことなどのほか、自称敏雄すなわち善彦による東洋ファクタリング、サンケー、原告事務所の吉川及び光義らに対する欺罔行為が、虚偽の住所変更届の提出、偽造の印鑑登録など周到な準備を経たものであり、自称善彦など共犯者の協力を得て計画的に行なわれたものであることなどの事情も認められる。

しかしながら、そもそも、保証人として不適格であることの明らかな者が作成した保証書を添付してする登記申請は不適法なものであり、司法書士ないしはその業務の補助者として、吉川は、こうした登記手続を実行に移すべきではなかったのである。しかも、吉川が自称敏雄に対し実施したという本人確認にしても、保証人に必要とされるのと同程度の確実な知識を得るに足りる慎重な調査確認の手段を尽くしたものとは、到底認められないところである。したがって、右のような事情が存するとしても、これをもって、吉川ないしは原告の責任を否定する根拠とすることはできないといわざるを得ない。

4  原告は、前記認定のとおり、原告事務所が本件所有権移転登記手続の委託を受けたことすら関知しておらず、吉川の業務執行についてもまったく指揮監督を行なっていなかったものであるが、原告事務所の唯一の司法書士の有資格者であり、すべての登記申請手続は原告の名をもって受託していたことに鑑みると、現実の司法書士業務の実行にあたる吉川に対し、前示の如き不適法な登記申請手続をそのまま実行に移すことなく、適正に業務執行にあたるよう指導監督すべき義務があったというべきであり、原告はこれを懈怠したものといわざるを得ない。

5  秋山は、吉川の説明を受けて、右登記申請手続が適正に執行されているものと信じ、サンケーにおいて売買代金その他の費用を出捐したものと認められるから、吉川ないし原告の右注意義務違反とサンケーに生じた損害との間には因果関係があり、原告はサンケーに対し、不法行為ないし債務不履行(吉川は、受託者である原告の履行補助者である。)に基づき損害賠償責任を負うものである。

右のとおり、原告は、原告及び吉川が司法書士の業務を遂行するにあたり相当な注意を用いなかったことに基づき、サンケーの出捐した売買代金九七〇〇万円その他の損害につき賠償責任を負うものであって、前記認定の別件訴訟の経緯などに照らし、原告はサンケーに対し、右損害賠償責任に基づいて和解金一五〇〇万円を支払ったものと認められるから、結局、右和解金の支払は、本件保険契約に基づき被告が填補すべき損害に該当するものというべきであり、被告は原告に対し保険金として一五〇〇万円を支払うべきである(訴状送達の日の翌日が昭和六一年一二月二六日であることは、記録上明らかである。)。

四  なお、付言するに、〈証拠〉によれば、本件保険契約における業務拡張担保条項第一条には、「司法書士特別約款第二条に定める業務には、不動産登記法第四四条に基づく保証書作成について被保険者が保証人を引き受ける業務を含むものとする。」との定めがあり、同第二条には、「当会社は、第一条において拡張された業務について被保険者の使用人、その他被保険者の業務の補助者が保証人を引き受けることに基づいて、被保険者が被る損害については填補する責に任じない。」との定めがあることが認められる。そして、本件所有権移転登記における保証人の一人として、被保険者すなわち原告の業務の補助者である光義が存在することは、前にみたとおりである。

しかしながら、原告は、原告ないしは吉川が司法書士あるいは、その業務を補助する者として前示の相当な注意を怠っていたことに基づいて、法律上の損害賠償責任を負担するものであるから、被告は、右業務拡張担保条項第二条を根拠にして、原告に対する保険金支払の責を免れるものではない。

五  以上のとおりであり、原告の本訴請求には理由があるから、これを全部認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石垣君雄 裁判官 高野伸 裁判官 吉田徹)

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